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エンスー入門車としての旧式ジムニー(第2回)

私はこんなジムニーを手に入れたジムニーは悪路のみならず時空をも超えるクルマじゃないでしょうか。ジムニーを取り巻く時間の流れは他の車とまったく違う。何せ90年に登場したJA11が現在も中古市場で現役バリバリなのですから。中古市場で廃れないというのはつまるところ人気があるからにほかなりません。私もそうでしたが「もし経済的に余裕があったらアウトドア遊び専用にジムニーが欲しい」そんな人が今も昔も大勢いるわけですね。買う側がそういう割り切ったメンタリティのため、ジムニーは普通の中古車とはまったく異なる市場が形成されています。お店に並ぶジムニーの中古車を見てください。丸ペンやカスタム当たり前、走行距離不明、修復歴アリなんてタマもゴロゴロしています。つまり、他の車だったらとっくに廃車になっているような個体でも、ジムニーが欲しいって人には立派な売り物になるわけです。遊びに使うんだったら多少の不具合は目をつぶれるということでしょう。私も“その筋”の知人に「ジムニーは自分で育てるもの」なんてことを言われたことがあります(笑) ところがSJ10となると、現存する個体数はガクッと減ります。単純に古いクルマであることと、その後のモデルに比べて機械としての完成度がかなり劣ることが理由だと思います。とくに防錆加工の施されていない鋼板を用いたボディはとにかく錆びやすく、修復には多額の費用がかかります。こうなると中古車としてはなかなか売りにくいことは容易に想像できます。 さて、そんな難物のSJ10ですが私が手に入れた個体のコンディションは如何なるものだったか。今回の記事ではその辺りを詳しくお伝えしたいと思います。

エンスー入門車としての旧式ジムニー(第1回)

旧式ジムニーがあるじゃないかひょんなきっかけで旧いジムニーを購入しました。1976年から81年まで作られたSJ10と呼ばれるモデルで、550㏄の2スト3気筒エンジンを搭載しております。SJ10にはバンと幌(キャンパスドア、メタルドア)という3種類のボディタイプがあるのですが、自分が手に入れたのはインパネの一部が樹脂になり、ウインドウウォッシャーが電動化された4型のバン。乗車定員は2(3)名。荷室にはほとんど冗談のような小さな折りたたみ椅子が備え付けてあります(笑) 具体的な価格については明言しませんが、かなり安価でした。 このご時世、私のような所帯持ちのド庶民がエンスー車を所有・維持していくのは相当に厳しいことですが、旧いジムニーなら何とかなるんじゃない?というのをこれから数回に渡って提案できればと思っています。 SJ10までのジムニーのスタイルはもろにMB/GPWジープの模倣です。内装は鉄板むき出しで、乗用車っぽさは皆無。じゃあ軍用車のように武骨でヘビーデューティーかというと、それもちょっと違います。何せ現代よりはるかに簡素だった時代の軽自動車ですからね。ラダーフレームや足まわりは頑強かもしれませんが、それ以外の部分はとことんコストが切り詰められていてむしろかなり繊細な印象です。ウインドウレギュレーターハンドルなんてちょっと無理に動かしたらもげてしまいそうなぐらい頼りない。

いまの若者はオートバイに何を求めるか

昨日、オートバイ用品店の駐車場で缶コーヒー飲んで休憩していたら、20代半ばと思われる仲睦まじい男女のライダーが目に留まった。驚くべきことに両人とも最上級と呼んで差し支えないロードスポーツバイクが愛車のようだ。注目しない訳にはいかない。二人とも上から下まで最新ライディングウェアを小奇麗に着こなしていて、従来のコアなオートバイ乗りとはちょっと違う、何というかすごーく「正しい」雰囲気が漂っていた。
男性の方は白い望遠レンズ(高価かつ高性能)を装着したキャノンの一眼レフカメラを腰にぶら下げていて、出発しようとバイクにまたがった彼女に向って撮影を始めた。きっとインスタにアップするのだろう。 時代が変わったことを痛感させられてしまう。 どちらが正しい、悪いの話ではなく、僕らの世代(40代以上)が若かった頃の「バイク観」では、これらの行為はとてもカッコ悪いとされていた。大なり小なり反逆的なニュアンスを込めてオートバイに乗っていたからだ。べつに犯罪行為をするわけではないけれど、心の中のワル、陳腐な言い方をすれば「自由を求める心」をオートバイで走ることで発散させていたのだ。スーパーカブでのろのろ走っていても心理的には爆走しているのがオートバイだった。オートバイに乗るということは内なる自分を解放して、別の自分になれると(なぜか)信じて疑わなかった。  だから「孤独」だったり「夜」だったり、「カスタム」や「ロングツーリング」、「旧車」、「缶コーヒー」、「ロックンロール」……そういった決して社会的とは言えない、無駄なコトやモノがオートバイ乗りには愛好された。そしてこうしたイメージは映画や音楽、雑誌、小説などによってさらに強固に形成されていった。でも、きっと件の彼ら彼女らのような今の若者にそのイメージは共有されていないと思う。国内二輪市場がものすごい勢いで縮小していくなかで、若者への訴求はずいぶんとフレンドリーかつ健康的なものへと変化しているからだ。そしてかつてオートバイが持っていた特定のイメージは切り離され、単にカッコいい乗り物になった。 お洒落で華麗な暮らしぶりをSNSでアピールする、それは今の若者にとって日常的な行為であり、いまオートバイに乗ることもその一部に組み入れられている。内的ではなく、外的な、いわゆるファッション化が進んでいるのだ。 もちろん、皮肉でもなんでもなく正常な進化だと思う。「ばくおん!!」を読んで二輪免許を取った子と私とでは、そりゃオートバイに求めるものは大きく違う。
「不運(ハードラック)と踊(ダンス)っちまった」などとワケ分からん事を呟いて心が高揚したのはもう遠い昔のことである。

いま、日本で一番カッコいい軽トラはこれだ!

軽トラだってモータースポーツできる!僕がかねてからお話を聞きたいと思っていた人とついに対面することができた。その人の名は軽市くん。3年ほど前から「軽トラで本気出してみた」という動画をシリーズで投稿している青年だ。僕はこの動画のファンなのである。 動画の内容を簡単に説明すると、北海道に住む大学生、軽市くんが人生初の愛車であるDA63T型スズキ・キャリイトラックでジムカーナやラリー、ダートラ、オートテストなどのモータースポーツに挑むというものだ。※スラローム走行やバック走行など、日常的なテクニックを競うイギリス発祥のモータースポーツ。「運転の正確さ」と「走行タイム」で順位が決まる。動画は軽市くんが幼いころから父に言い聞かせられていたという言葉で始まる。『クルマはFR』『パワーが無い車の乗らないとそれを補う、絶対的な速さは身に付かない』『高い車は買って終わり』『安い車をいじるから楽しい』『遅そうな車を速く、走らせる、それがかっこいい』 こうした言葉を受けてなぜキャリイを選択したのかについては後ほど詳しくお伝えするが、格上のマシン相手に軽トラで挑むというストーリーは漫画『頭文字D』と同様のロマンを感じさせる。僕がとくに感銘を受けたのは、少々不格好でも体当たりの実践で真剣にモータースポーツに挑む、良い意味でのアマチュアリズムとチャレンジングスピリットである。軽市くんがメインで走っているジムカーナというのは、四輪競技のなかでは比較的お金がかからないとされているが、しっかりやろうと思ったらやはり相当の出費を覚悟しなければならない。僕も含め、モータースポーツに興味はあってもコスト面で二の足を踏んでしまう人は多いことだろう。しかし軽市くんは軽トラという思いもよらぬ選択でモータースポーツの世界に飛び込んだ。 もちろん、ただやるだけの「ネタ」ではなく、本気で速く走るために真剣にクルマを作り、テクニックを磨く。華麗なサイドターンでパイロンをかわす軽市くんのキャリィは直線路をぶっ飛ばすしか能のないそこらのスポーツカーより、はるかにスポーツカーしている。クルマ好きの平凡な大学生である軽市くんが、経験ゼロの状態から手探りで成長していく様子からは、モータースポーツの面白さ、喜び、苦労などがじつにリアルに伝わってくる。

壊れないクルマとバイクの影

安くて壊れない――― 日本のクルマやバイクは世界中でそう評価されている。
だから新車だけではなく、中古車も大量に輸出され、さまざまな地域の人々の暮らしを支えている。とくに丈夫なランドクルーザーやハイエースはアフリカの過酷な環境でも数十万キロを走るという。ある海外のテレビ番組はホンダ・スーパーカブのあまりにも高い耐久性の限界を知るべく、食用油をエンジンに入れて走らせただけでは飽き足らず、ビルの屋上から落下させた(ホイールなどは変形したものの、いちおう走ることはできた)。 日本車がこのようなかたちに進化したのは、日本の自動車産業が後発で、ヨーロッパ車の模倣からはじまったことも一因だろう。模倣といえば聞こえはいいが、要はパクリである。パクリが本家や元祖を超えるためには、安くて壊れないことを付加価値とするしかなかったのではないだろうか。 一方で、輸入車は高くて壊れる、といわれる。その典型とされるのはイタフラ車(イタリア車とフランス車の総称)だ。
ちなみに私はモトグッツィ・カリフォルニアというイタリア製バイクを所有している。
日本でモトグッツィというとV7やルマンが主流だが、世界的に見れば北米を中心にこのカリフォルニアシリーズがもっとも売れている。もともと警察用車両として開発されただけに根本部分の耐久性は優れているが、やはりそこはイタリア車。エンジンが発生する大きな振動によってあちこちのナットやボルトは緩むし、パニアケースのステーにヒビが入ったり、スピードメーターの針がおかしな動きをすることもある(スピードメーターは直したが、タコメーターは今もちょっとおかしい)。いまのところエンジンや駆動系に致命的な故障がないのが救いだ。 定期的なメンテナンスをしていても、壊れるときは壊れるし、パーツ代もけっこうバカにならない。よほどの好事家でないとイタフラ車を維持するのはしんどく、おのずと愛情が不可欠になってくる。好きだからこそ乗り続ける、壊れても壊れても直して乗り続ける。好きでなければ、愛してなければ乗り続けられないのだ。 最近、私はヨーロッパの国々を旅して、こんなことを考えるようになった。 イタリアではローマ時代の遺跡、つまり2000年以上も昔の建造物が当たり前のように現代の暮らしに溶け込んでいる。イタリアに限らずイギリスでも、郊外の町中を走っていると「あの本屋は400年前からあそこにあるんだ」と連れの現地人が教えてくれたり、15世紀に建てられたアパートに今も人々が暮らしていたりする。 数百年以上も前に建てられた家屋に住めるのは、雨が少なく乾燥した気候ゆえに石造の建築物が成り立つという点が大きい。
もちろん木材と紙でできた日本の家屋と比べたら耐久性は雲泥の差だ。

ドライブにふさわしい音楽のハナシ

人生初の自分のクルマ「トヨタ・スターレット(KP47)」を購入したのは1977年。27歳のときだ。 生まれてはじめて手に入れたそのクルマは、同時に、はじめて手に入れた “音楽空間” でもあったが、今から思うと、その音楽システムは情けないほどプアなものだった。純正カセットテープデッキと、AM・FMラジオ。それと、ダッシュボードの下に埋め込まれた小口径のスピーカー。音量を上げると、すぐに音が割れた。それでも、クルマを運転しながら聴く音楽は、部屋にこもって聴く音楽とは、まったく別次元の興奮をもたらせてくれた。それまで、ソウルミュージックやブルースといった黒人音楽一辺倒の自分だったが、クルマに乗るようになって、にわかに好みが変わった……というより、新しい音楽の存在を知った。クルマの疾走感にシンクロする音楽。いわゆる “ドライビングハイ” をもたらすBGM。それまで当たり前のように聞いていたロックミュージックにそういう要素があることを、クルマを手にしてようやく気づいた。それまで大嫌いだったディープパープルなども素直に聞けるようになった。彼らの『ハイウェイスター』や『スピードキング』などという曲は、文字通り、クルマやバイクの疾走感を増幅させるための音だったということが、遅まきながら理解できた。こうして、クルマの疾走感に合う音楽を意識的に追求し始めると、そこには2系統の「音」があることが分かってきた。一つは、当時の言葉でいう「テクノポップ」。このジャンルにおいては、1978年に結成されたYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)が代表格となるが、私が注目したのはドイツの「クラフトワーク」というグループだった。ラジオから流れてきた『アウトバーン』という彼らの曲を最初に聞いたのは、1974~75年頃だったと思う。なんとも奇妙な気分に襲われた。人間ではなく、ロボットが演奏しているように思えたのだ。 つまり、無機質的な電子音が、いつ果てるともなく、冷え切ったリズムを刻み続けている。まさに、初期のコンピューターゲームのBGMに近い。その単調な音を、ストイックにキープしようとする彼らの執念には、どこか人間離れした精神を感じた。試しに、彼らのアルバムを買い、それをカセットテープに落としてドライブミュージックとして使ってみた。これが合うのである。