俺のヤングマシン図鑑!【国産Vツインアメリカン編】

1980年代から2000年代にかけて、若者たちに絶大な支持を受けたモデルを筆者の体験を交えつつ紹介。元気で、ルックスがキマっていて、ノリが良くて、ハッタリが効いて、できれば安くて……時代を彩った“ヤングマシン”は若者たちを映す鏡でもあった。

 (『MOTO NAVI』2017年10月号に掲載されたものをWEB用に加筆・修正)


Part3「国産Vツインアメリカン」編

免許制度の改正前夜、国産Vツインアメリカンは独自の光芒を放っていた



オレたちは買えなかったんじゃない、買わなかったんだ!

1990年代の中頃は若者たちの間で400㏄までの国産アメリカンが大ブームでした(当時の呼び方に倣ってあえてクルーザーではなくアメリカンと記述)。

そのカテゴリーの頂点であるハーレーは96年に二輪車の免許制度が改正されるまでは夢のまた夢。まったくリアリティのない幻の存在というのが10代だった私の実感でありました。国産アメリカンを思い思いに(かつハーレーっぽく)カスタムする、それがこのブームのゴールだったのです。

当時はまだインターネットすらない時代。お金はもちろん、バイクの知識や情報だって乏しい。そこでまた先輩から回ってくるわけです。エイプハンガーやらシーシーバーやらリジットサスといったどこで作っているのかも分からん出所不明の怪しいパーツが(実際、シーシーバーを自作するのは流行った)。その一方で、いまはなき横浜ライニングをはじめとするカスタムショップはブームの勢いに乗り、次々と国産アメリカン用の個性的かつ斬新なパーツを世に送り出し、一種のガラパゴスなカスタムカルチャーが存在していました。

思えばハーレーがいまほどポピュラーではなかったからこそ成立したであろうあのブーム。高校生が制服着てチョッパーで走り回っているなんてアメリカでも見られない光景だったんじゃないでしょうか。



カワサキ・バルカン400(1995年~)

リジット風フレームを採用する大柄な車体は輸出モデル、VN800と共通のもの。エンジンも同車に搭載される800㏄水冷Vツインをボアダウンしたロングストロークタイプだ。若者からの人気では後に登場するドラッグスター400にはまったく敵わなかったが、当時、某雑誌上で行われていたカワサキとのタイアップ記事では所ジョージ氏がこいつをカスタムしており、なかなかスタイリッシュな仕上がりだったと記憶している。

ヤマハ・ドラッグスター400(1996年~)

当時の若者はそのカッコ良さに電気が走った。クラス唯一の空冷Vツインエンジンや低く、長いフレーム、リジット風のリアサスペンション構造、タンクオンメーター等々、こうあって欲しいと思うディテールがすべて採用されていたからだ。たちまち小型二輪市場で4年連続のベストセラーとなるほどの大ヒット。カスタムも盛り上がり、ハーレーとは異なる独自のカスタムカルチャーを生むなど一世を風靡。


ホンダ・スティード400(1988年~)

ゼファー400と共にレーサーレプリカブームを終焉させたモデル。自分はそれより少し後に免許を取った世代でしたが、横浜市のはずれに住んでいたので遅れてやってきたパラダイムシフト目の当たりにすることになりました。高校1年では角生やしたヘルメット被って峠を攻めてた仲間が、ある日突然レザーのライダース&スティードで大黒ふ頭!になったのである。後ろに彼女なんか乗せて悔しいやら羨ましいやら。突然ハシゴ外された私はレーサーレプリカへの憧れを捨てきれぬままRZ50(1HK)なんていう旧時代の遺物で高校時代のバイクライフを終えました。ヘルメットだけはスモールジェットになってたけど。

デスペラード400/400X(1996年~)

最初に謝っておきますが若者に人気なかったですこれ、ゴメンナサイ……。じゃあどうして掲載するかというと、たんに私が若い頃、好きだったから(とくにビキニカウル付きの400X)。上まで回るハイパワーな水冷Vツインや、倒立フォーク、キャストホイールなど、アメリカンにあるまじき「走り」に振ったキャラが天邪鬼の琴線に触れた。 同じころ、アントニオ・バンデラス主演による同名の映画もありましたな。


(文/佐藤旅宇)


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