YAMAHA『55mph』がくれたもの

 もう10年も前の話になりますが、以前、私はヤマハ発動機の「Web 55mph」というサイトで編集長兼メインライターをしておりました。

私より年上のベテランライダーの方はよくご存じでしょうが、「55mph」というのは、ヤマハ発動機が過去に発行していたバイクライフをテーマにした小冊子のことです。私は当時を知らない世代なのですが、『サイクルワールド』などを発行していたCBSソニー出版が制作を請け負っていたのかな? とにかく誌面デザインやビジュアルがバイク雑誌離れしていました。恐らく制作予算も。

Web 55mphはそのウェブ版ということになるのですが、バイクブームと呼ばれた当時と比べるとかなり小規模な展開でした。でも、55mphというのは強烈なイメージがあったので、すごくモチベーションは高かったですね。頑張って当時のような記事を作るんだーと。

ここにアップされた記事は、他の方の記名があるいくつかの記事以外は、すべて私が執筆しました。執筆者のクレジットを入れることもできたのですが、私の希望でほとんどの記事は無記名になっています。というのも、当時私はまだ30代で、55mph的な記事を書こうとすると、かなり背伸びをしなければならなかったんですね。

ライダーの平均年齢が私よりずっと上ということもあり、二輪ジャーナリストでもない若輩がオートバイの何たるかを語っても、説得力はないだろうという判断でした。


先述したように記事によっては、メーカーサイトとは思えないほどコンパクトな体制で取材・撮影を行ったものもあります。こちらの「オフロード白バイでしか行けない場所がある。」などは、まさにそれです。

私とカメラマンの二人で取材し、記事を制作しています。取材時間は約2時間ほど。ディレクター・編集・ライターの三役。もちろん、警視庁(最初はかなり難色を示していました)へのアポ取りなども私が行いました。当時は別に疑問にも思いませんでしたが、今考えるとかなり忙しかったですね(笑)。

今は、こうしたオウンドメディアでも事前にほぼ完成記事と同様のラフを作成してクライアントに承認を取り、現場ではそれに沿って取材を進めるというのが主流になっていると思いますが、このときはほとんど現場での一発勝負。入念に下調べを行ってから取材に臨んでいました。ときには、現場でのインタビューは裏取りで、ほとんどの内容は事前の調べで把握していた、なんてこともありました。

こうしたルポ以外にも、小説風、エッセイ風、詩のようなものまで、オートバイをテーマにあらゆるタイプの文章を執筆しています。事前に何を書くか決めているときもあれば、現場の様子や、上がってきた写真を見て浮かんだイメージをそのまま文章で表現したこともあります。

たとえば、こちらの「55mph - オートバイへようこそ。」という記事は、サントリーが毎年、成人の日に打っている新聞広告をイメージしたものでした。伊集院静さんが新成人に向けて、含蓄のあるメッセージを発信していたあれです。なんとも恐れ多いチャレンジですが、ビーナスライン/霧ヶ峰で撮影した写真と一緒に読むと、まあまあうまくいったんじゃないでしょうか。


「SRと過ごす週末」は、これはもう片岡義男さんへの直接的なオマージュですね。とくに文体を似せているというわけではないのですが、ドライで落ち着いたトーンの写真と、読者の共感を呼ぶような丁寧な情景描写を心がけて作成しました。実際にこの記事を読んでSRを購入したと公言する読者の方もいて、すごくうれしかった記憶があります。


「人間にいちばん近い乗りものなんだ。」は、この秀逸なコピーをふたたび世に問いたいという気持ちで企画がスタートしたと記憶しています。ロケ地に阿蘇を選んだことや、リアルなお馬さんが登場するのも、紙で発行されていた55mphの誌面をオマージュしたものでした。現場でも良いロケができたという手応えを感じていましたが、完成した記事もご覧のとおりの素晴らしさ。撮影、車両、モデル、ロケーション、もろもろすべてがバッチリはまって、これ以上ないってくらいのものに仕上がっています。私は文章を書いただけなんですけど、後にも先にも、こんな見事な記事を作れたことはありません。


個人的に好きな記事は「お父さんのYA-1」。詳しい内容は読んでもらえればと思いますが、こういう感動的なエピソードを読者にうまく伝えられるかどうかは、完全にライターの力量にかかっています。いつものように頭を抱えながら、締め切りぎりぎりに書き上げた原稿でしたが、いま改めて読み返しても恥ずかしくないものになっていました。たしか公開当時、なかなか評判が良く、多くの方にシェアしてもらった記憶があります。


とまあ、私がメインライターを務めた4〜5年の間にかなりの数の原稿を書いたので、思い出は尽きませんが、大した実績や知名度のない私なんぞに自由にやらせてもらい、当時の関係者の皆さまには本当に感謝しています。この仕事で自分のライターとしてのスキルは格段に向上したと思います。

今春、私はフリーライター業15周年を迎えました。46歳になり、あの頃より含蓄のあるものを書けるようになったのでしょうかね?

文・写真/佐藤旅宇


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